何も求めるべきでない、と。

つぶやきです。
先日 和歌山の母に久しぶりに会って 介護に関することを
改めて感じたことを。
長年の介護を終えた母は しばらくは 悲しみや失望感等に襲われ
塞ぎこんでいましたが
本当に 最近は 少しずつ 自分のペースを作り
絵を描いたり
ゆっくり本を読んだり
時々 バイトをしてみたり、と
思いつくままの日々を 噛みしめるように過ごしています。
最近は 電話での声も明るくなっていましたが
久しぶりに顔を見て つくづく 母本来の穏やかな 優しい顔になったなぁと感じました。
明るく笑う母を見て ある意味 本当に 長年の介護生活がどんなにか辛く 心身ともにキツイ日々だったのだろうか、と。
母自身も 『介護させて頂くことは ありがたいこと』と申してはいましたが
やはり 心身の疲労は 目に見えて現れていて
感情を整えるのに難しいであろう、と感じることが度々ありました。
徘徊等、昼夜逆転し
赤ん坊のようになってしまった老人の食事や入浴 全てのことを。
私自身 介護をしたことはありません。
ただ 長年 祖父母の介護をする母を見てきただけですが 
介護が 一言では表すことの出来ない大変なものであろう、と感じてはいました。
それでも 本人の苦労を 心底理解していたのだろうかと。
例えば
介護に追われる母は 自分の布団はひかずに そのまま畳に寝てしまう、とか
寒い真冬でさえ 簡単なシャワーで済ませてしまう、とか
同じ服を何日も着る、とか
小さい頃は 昼間 横になっている母を見ることも嫌だったことを思い出します。

このような事をする母に 私達子どもたちは
ちゃんとお布団に寝よう、とか お湯にゆっくり浸かったほうが疲れがとれるよ、
などと おせっかいに 母に求めていたのですが
ある意味 簡単に出来る事をしない事に意味があったのだと。
それをどこかで理解しているつもりでいたのですが
やはり『つもり』にしか 他ならななかったのかなと。
介護中は 心は 一杯一杯で 何一つ 入れる余裕は無くなり  
一日を終えるのに精一杯だった母。
香りも 今回 心から 『いいねぇ』って ラベンダーの香りを楽しんでいました。
泣いたり 怒ったり、それはそうであろうなあと。
介護に限らず
苦しみの中にある時
ただ そのままで良いのだと。 何一つ求めず。
それでも 娘は 求めてしまうのですよ^^
一緒にランチに行きたいなぁ、ナンテネ。
親って ある日 突然 居なくなってしまうのですヨ。
会えるうちにいっぱい会って 一緒にご飯食べてたほうがいいな。
結局 いつまでたっても 親と子。
母に会いに また 和歌山に行こうと思います^^
それでは! 今日も 懲りずに香っておりまっす♪